ヘルニアで半年ほど仕事休むハメになった話

herunia FIREしたい‼
herunia
激痛で動けなくなる
あせとん
あせとん

少し落ち着いたので過去の心境を綴っていこうと思います。

”病気FIRE”は避けたいので気合で復帰しました。

2024年5月ゴールデンウイークの後半、意気揚々と横浜市へ引っ越したのも束の間、洗濯機の脚をかさ上げする際に首肩をやってしまいました。やった直後はそれほど痛くはなかったものの、3日後ぐらいから後頭部~背中にかけて激痛が走り、仕事中座っているのも辛い状態に。最初は早退したりロキソニンを飲んだりでやり過ごしていたものの日に日に痛さが増していったので病院へ行くことにしました。この時期はまだヘルニアだとは思わず、自律神経失調症か何かからくる頭痛だと思っていたので内科を受診。特に異常はないと言われてとても凹みました。その後も出勤するものの、エアコンの風に当たっただけでも、腕が痺れてきたのでさすがに参ってしまい脳神経外科と整形外科を受診したところ頸椎ヘルニアだと判明しました。診断まで約1か月。何度、救急車を呼ぼうとしたことか。

親父の危篤からの葬式
あせとん
あせとん

老人ホームに預けたら少しはマシな食事して

あと10年くらい生きると、そう考えておりました。

老人ホームにいる父の容態がかなり悪くなっていると、妹経由で連絡があり急遽、愛知県に向かうことに。食事が全然食べられてないので、胃瘻をするかどうかを決めて欲しいとのこと。本人は点滴すら嫌がってるし、胃瘻をしても改善する可能性は低いので、どうにか高栄養のゼリーやエンシュアなどでカロリーを取ってもらうことにしました。延命治療は一切しない、やって苦しませたくないと前々から決めていたものの、医者に「延命治療前提で」話を進められると心情的に苦しいものがありました。心の弱い人なら、医者に言われるがままに延命治療にサインしてしまうのだろう。

そして医者と妹と延命治療しないと取り決めたものの、6月に入って危篤状態になり中旬には死亡、そこから怒涛の葬式となりました。あまりにも早すぎる展開!享年は69歳でした。親父は80歳くらいまで生きると思ってましたが、結局は70歳も超えてない。母親は58歳で胃ガンで死んでるので老後ゆっくり過ごすというのは幻想であると思い至りました。

悪化する慢性鼻炎と日帰り手術
あせとん
あせとん

鼻炎のせいで鼻水は止まらず、鼻づまりで息はできず……

長年付き合ってきた慢性鼻炎が日に日に悪化し、鼻づまり+鼻水で呼吸が苦しくなっていました。千葉県にある耳鼻科で手術することにしましたが、父親の葬式で手術はキャンセル。翌7月末に偶然空きがあったので一か月遅れて手術することになりました。予約に半年以上かかる手術なので、もう半年かかるとしたら絶望してたなぁ。日帰り手術で、後鼻神経切断と下鼻甲介骨切除やってもらいました。おかげで鼻づまりは解消されましたが、鼻水は何故かあんまり有効でなかったみたいで、一年ほど経過してるのですが鼻水には未だ悩まされてるところ。おかしい……神経切ったのに……

不眠症も酷くなり病気休暇へ
あせとん
あせとん

睡眠薬を飲んでも眠れないのは非常に辛いです。

慢性鼻炎と同じく不眠症も長年患っていまして、オオサカ堂という個人輸入代行で睡眠薬を買って毎日飲んでいます。ルネスタのジェネリック薬がよく効くので飲んでましたが、引っ越して一か月後の6月後半あたりから何故か効かなくなって全く眠れない日や3~4時間くらいしか眠れない日が出始めて、頭痛と疲労でフラフラになってしまい精神的にも参ってしまいました。

父親の葬式が精神的ダメージになってたし、ヘルニアは治らない、鼻炎で息苦しい、おまけに不眠まで襲い掛かってきて、仕事どころか起きるのさえ困難になりました。もう無理だ……と判断して上司と部長に話して、産業医面談の上、病気休暇で休むことになりました。病気休暇を取るにも心療内科での診断書が要るとのことで、ヘルニアのリハビリ、耳鼻科と心療内科を掛け持ちで回るハメに。週3で病院通いはなかなか大変でした。病気で動けなくて仕事休むのに、病院行きまくらなきゃならないなんてね……

11月末に無理やり引っ越しとリハビリ復帰
あせとん
あせとん

ヘルニアにおびえながら荷造りは辛い。

病気休暇が切れるころ、元の職場に戻ることになりましたが、元居た部署には戻れず仕方なく、「歩き回る仕事」がある部署に転属させてもらいました。復職の話が出たころにはヘルニア発症から半年は経ってましたが、痛みはまだあり、下を向き続けるPC仕事は無理な状態でした。しかも横浜市からつくば市(若しくは柏市)への通勤はヘルニア治ってない状態では無理なので、引っ越しすることになりました。復職するにも、主治医の診断書+産業医面談+辞令が出ないと引っ越し日(入居日)も決められず限られた時間内にアレコレ手配するのに忙しかった記憶があります。

ぶっ倒れた感想(やっぱり仕事は体に悪い)
あせとん
あせとん

健康第一。もう無理はしない。

病気休暇中、最初は仕事にいかない事に不安がありましたが、1週間で特に何も感じなくなりました。強いて言えば、今健康でない事、お金が減っていく事が不安でした。この時ばかりはFIRE目指してて、ある程度資産があることが御守りになったようです。5,000万円の有価証券は最強の護符です。

おそらく健康になるためウォーキング、節約のため自炊、リハビリに病院に行くってことで案外忙しかったからかもしれません。またTwitter+YouTubeがあれば孤独感はほぼ感じなかったです。。仕事してなくて「不安」、社会と切り離されて「不安」はほぼ感じませんでした。

自分は有能ではない、健康でいられる期間は短い、平均寿命まで生きられるとは限らない。職場には元気な人しかいませんが、自分が65歳まで定年で働けるか?と考えたら、両親が70歳まで生きてない時点で無理だと改めて思い知らされました。だからこそ、資産形成を頑張って、残りの人生を有意義に生きるためにも引き際を見極めることが肝要だと痛感しています。41歳でぶっ倒れることはマイナスではあったものの、自分の身の振り方を考える上ではプラスになったと思います。

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